今回は人付き合い苦手な私が将来に対して感じている不安、思い付いた対策、そしてそれが実現可能かどうかについて考えてみました。
ネガティブな話が中心かつ、解決策がない、後半はとりとめもない愚痴も多いので、大丈夫そうな方だけお付き合いいただければと思います。
人付き合い苦手な私が抱える不安
私は将来に漠然とした不安があります。これは今に始まったことではなく、子どもの頃から数年先のことに怯える人生だった気がしますが、今抱えている不安は昔のそれよりも現実的で具体的になってきた感じです。
人と一緒が苦痛なのに一人でいられなくなるかもしれない不安
私は人付き合いが苦手で、長時間他人と一緒に過ごすことを辛く感じます。そして他人に頼んで何かしてもらうことにも抵抗感が強いです。
今はまだ自分のことを自分でできます。同世代に比べたら体力はないけれど身体は自由に動くし、外出先で人に頼る機会はほとんどないです。
しかし、身体が衰えるとそうはいきません。自分の周囲を見ていてもそれはよくわかりました。自分でできることが減っていくと人に頼らざるを得なくなってしまうでしょう。
私は大勢の人間と一緒に管理される場でうまくやれないタイプなので、学校のような長時間の共同生活を強いられる場所には二度と属したくないと思っています。
健康で自分のことを自分でできる状態、自分だけの居場所があり他人から衣食住、日頃の行動を管理されていない環境で、やっと身の安全が確保される気がするのです。
いずれ弱者になることへの不安
誰でも体が弱ったり年を取ったりすることで、弱者になる可能性はあります。
それは生まれてしまった以上仕方がないこととはわかっていますが、健康なときでも人とうまくやれなかった、関わることに苦労してきたため、誰かに世話される、管理される存在になることに強い不安があります。
今以上に自分の意思が蔑ろにされることも増えるだろうし、将来の環境によっては「自力で動けない」「生産性がない」ことで憎まれる、加害されやすくなっていく可能性もあると思いました。
このように思うようになったきっかけは、昔、自力で動けなくなった家族がいたのですが、そのときに「身内間でも弱っている人への言動はきつくなる」ということを実感したことでした。
また、年を取ったり体が弱ったりすることで、不遇な環境でも抜け出せない、嫌なことをされても我慢するしかなくなることに絶望しました。
弱者側になると辛いことの一つに、味方ができにくい、味方かもしれないけれど信じられないというものがあると思います。
若いうちに信用できる人間関係を作っておこうという話について思うこと
自分が弱ったとき、不本意な状況に陥ることを防ぐためには若いうち、元気なうちから信用できる人間関係を作っておいたほうがいいと言われます。
これは本当にその通りだなと思いますが、実現できるかどうか言ったら、私は難しいです。
深い関係を築くのが苦手だし、居心地のいい関係であってもどこかで「自分と仲良くしてくれるなんて裏があるのでは」「私が調子に乗って馴れ馴れしくしてしまっているかも」などと思ってしまうからです。
だから深い話、本音を言える間柄の友人はいないし、一時期気の合う人がいても、マメに関わろうとしないので割とすぐ疎遠になります。
孤独自体はそれほど苦にならないタイプなので、ひっそり過ごす分にはなんとかなりそうですが、怖いのはいきなり変なことに巻き込まれる、自力で逃げられない上に誰にも助けを求められないといった状況です。
残念ながら弱っている人に悪意を持つ人、利用しようとする人は一定数いるし、万が一こういうことに巻き込まれた場合、連絡のつく人がいないと助けを求められないし、悪い状況から抜け出すのもかなり難しそうです。
だからこそ、そういうときにお互い助け合えるような関係性はあったほうがいいと思います。しかし私のようにそれを築くのが苦手な場合、どうしたらいいのかはまだまだ考え中です。
あらゆることに対応できるよう知識を集める、仕事などを通して適度に関われる人間関係を作る、抵抗がないなら近い価値観、同じ趣味の人とシェアハウスなどで共同生活するというのもアリなのかもしれませんね。
場所にとらわれずにできる仕事なら、いっそのこと外国語などを勉強して、一人でも過ごしやすそうな国に移住するというのも一つの手だと思います。
もちろん、この場合も語学力の他に移住先の国でうまくやれるか、馴染めるかも課題となるので(言葉や文化の違いにより、困りごとの相談はかえってしにくくなる可能性がある)よく考えたうえで決めたほうが良さそうです。
弱い立場になりやすく所属が苦手な人は自力でできることを増やそう
存在が悪目立ちしやすい、弱い立場になりやすい人で、所属するのが苦手なら、少しでも自力でできることを増やしたほうがいいです。
自分でできることが増えれば、無理に群れに属さなくても済むし、合わないコミュニティに入ってしまっても比較的簡単に抜け出すことができるでしょう。他人の思惑に従う必要もなく、自分の意志を尊重して生きることができます。
私は子どものとき「一人でいると変な人に狙われるよ」という話をされました。これは確かだと思うし、弱い立場の集団からあぶれたところを付け狙う人は見たことがあります。
ただ、その弱い立場を集めた集団の中にも加害行為をする人はいたし、外部の変質者に狙われないために内部の加害者にいじめられる、という時期がありました。
「弱い属性で集団に属さないと狙われる」ことで弱い側にくくられた人達は、お互いの安全のために過剰に同化しようとする気がしました。
監視し合って閉鎖的になり、窮屈なルールを強要するのも加害されやすい、下に見られることで言動をひとくくりにされやすいということも原因なのかしれません。
しかしその群れでうまくやれない人もいます。無理に属しても、今度はその中で排除や攻撃が行われる場合もあると思います。
私は自分がまさに悪目立ちしやすく、攻撃されやすかったため、所属しないことで悪意のある人に狙われないよう、無理に所属しなくて済むように、少しでも自分でできることを増やしたほうがいいと思うようになりました。
結局は今できることから地道にやっていくしかない
とりとめなく思い付いたことを書いて来ました。結局は今できることから地道にやって対策していくしかないんだろうと思います。
こんなことを延々と考えて、つくづく自分は生まれないほうが楽だったな、なんて考えてしまいます。
どこに生まれたいとか今より条件良く生まれたいとかではなく、最初から存在しないほうが良かったという感じです。生まれた環境自体は、総合的に見たらそんなにひどくもなかったし、自分に適性がないだけなんだろうと思いました。
しかも今の時代だから私でもまだマシ、なんとかなっているというだけで、これがもうちょっと文明がない時代、自由がない地域なら最悪だったんだろうなと思います。
自分含めて人のいいところが見つけられなくて、その割に嫌なところは目についてくるし、最近は人間というか地球自体嫌いという域に達した感じがあります(笑)
それでも特定の誰かが嫌いという状態よりは、むしろ気持ち的には安定しているのかもしれません。
何の解決にもなっていませんが、思っていたことを吐き出せて少しスッキリしました。適度に距離を取って深入りしなくて済む自分でいられるようにできることをしていこうと思います。
今回は解決策もなく暗い話ばかりになってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。