こんにちは、人付き合い苦手です。今日は人付き合いが苦手なのに、気付いたら他人のケア役になりがちだったことを書いていきます。よろしくお願いします。
人付き合い苦手なのにケア役になりがちだった
私は人付き合いが苦手なのに、他人のケア役になりがちでした。愚痴や不満を延々と聞かされるなど、お金にならない感情労働をすることが多かったです。
それは家でも同じでした。友達が少なくて家にいることが多かったためか、他の兄弟よりも長い時間、母親の愚痴を聞かされていました。
少しでも同意しないと母が「じゃあお母さんが出て行けばいいんだね?!野垂れ死ねってことでしょ?あんたのせいでいなくなるからね!言っとくけど、お父さんも兄弟もあんたのこと嫌いだってさ!」とキレるので、ひたすら同調するか、見たいテレビや暖房、冷房を我慢して、場所を移動するかのどちらかでした。
母も母で、子どもの頃弟より雑に扱われ、結婚後は父方の祖父と折り合いが悪く、しょっちゅう怒鳴られ罵倒されていたので、その鬱憤を弱そうな私にぶつけていたんだなと思います。
でもそれを、当時母や祖父よりも弱者だった私が受け止める義務はなかったはずなんですよね。こういうのって、やっぱりそのコミュニティで一番弱そうなところにしわ寄せがいくんだなと実感します。
家での人間関係がうまく築けなかったことと、もともとの神経質で根暗な性格で、外に味方も作れなかったし、大人になってから奇跡的にできた数少ない友達(一応)に対しても本音では話せません。
どこかの集団に所属するときも、敵意を持たれないために無理してしまうことが多かったため、感情労働、ケア役、ごみ箱扱いに繋がってしまいました。
なぜケア役になってしまったのか
なぜケア役になってしまったのか、一言でいうと過剰適応です。私が、過剰適応状態になったのには、以下の理由があります。
嫌われてはいけないと思っていた
昔の私は、人に嫌われる=加害されると思っていました。家で母の愚痴を聞いていたときも、少しでも反論すると「出て行く」「他の兄弟に嫌われる(恨まれる)」と脅されたように、自分は嫌われると加害されると信じていました。
学校でも「嫌い」「価値観が合わない」相手をいじめたがる人はいたし、結構長い期間、「誰かに嫌われたら安全に生きられない」「常に人に同調しないといけない」という認識が消えませんでした。
しかし、上記のような認識で生きていると、当然ですが健全な人、環境とは縁遠くなってしまいます。
実際は、嫌いだからと言って加害していいことにはなっていません。嫌いでも存在は認める、排除しない、加害しないのは当たり前という常識を知ってようやく「自分の捉え方がおかしかったんだな」と気付くことができました。
私も認識を改めるまでは、誰かのお気に入りにならないといじめられる、常に攻撃していい対象を探している人がいるなど、不健全な環境に入ってしまうことが多かったです。
他にできることがないと思っていた
どこかに所属している限り、何かしら役割を持たないといけない雰囲気があります。
私は自分に自信がなかったので、人の機嫌を取るしかできることがないと思っていました。これも他人から低く見られ雑に扱われる原因でした。
自分は普通に仕事をするだけではダメ、もっと人の役に立たなくてはお金をもらってはいけない、もっと人に好かれないと居場所がなくなってしまうなど、過剰に適応しようとしていました。
内心では他人にこき使われたくなんてないのに、いろいろと不安過ぎて本心を抑圧してしまったんだと思います。
今考えると別に職場で好かれる必要はなかったし、そこまで献身する義理もなかったです。無償で雑用やケア役をさせられるぐらいなら、堂々と嫌われたほうがマシだったかもしれません。
自分のケアもできていないのに他人のケアをできるわけがなかった
なぜか余裕のある人ではなく、困っている人を感情労働要員にしたがる風潮はあると思います。それはケア労働が軽視されている、コミュニティの中の弱者が進んでやるべき仕事、というように認識されているからかもしれません。
でも、自分のこともまともにケアできないのに、他人のケアなんてできるわけがないです。自分はもちろん相手も余計にしんどくなるだけだ思います。
そもそも帰属意識が薄い
昔から集団になった人間が苦手、というかうっすら嫌い寄り(距離を置きたい、あまり関わりたくない)なので、積極的に誰かに尽くしたい気持ち、もっと言うと帰属意識みたいなものが薄い、というかほぼない気がします。
でも特に何か秀でた能力を持っているわけではなく、昔は今より視野が狭かったこともあり、どこかに属さなければ生きていけないと強く思っていました。
嫌だけど所属して雇用されないと払うものも払えない、自分1人で休める場所もなくなってしまいます。安全に1人でいるためには収入を得ないといけないから所属し、所属したらそこの人とうまくやらないといけないから搾取されても我慢していました。
昔から家でも家族の愚痴を聞かされていたので、親しくない人でも自分に愚痴を言うのは当たり前、他にできることがないからその役割をやらないといけない、と思い込んでいたことも原因だと思います。
その結果職場でも都合のいいケア役、面倒事を無償で押し付けてもいい人になってしまい、普通の労働と合わせて無駄に感情労働する羽目になりました。
自分が我慢して他人に尽くすのは無理
自分が苦しい状況なのに他人に尽くすのは無理があります。家族が相手でも同じです。まず自分自身が助からないことには、他人を助けるなんてできないと思います。
昔の人間関係のトラウマが消えていないのに、じっくり自分について考えず、多数派と同じ道、人と関わって働く道しか頭になかったのも良くなかったです。
まず自分自身のケアを優先すべ気だったと思います。自分へのケアが不十分なまま他人と深く関わる、他人を支える役回りになるのは余計なトラブルや新なトラウマを生じさせるんだなと実感しました。
人をケアすればするほどなめられて搾取される
自分もつらい状況で他人をケアしてもいいことはないです。どんどん自分のためのリソースがなくなっていきます。おまけに、頑張れば頑張るほどなめられてしまいます。
そのうち、周囲からも「この人はそういう役回りに甘んじている人だから雑に扱っていい」と思われ、多方面から搾取されるようになってしまうでしょう。
私も同じ部署の先輩や同僚の愚痴、不満に愛想よく対応したら、いつの間にか他の部署の人にもなめられ、自分に原因がないこと、担当していないことで執拗に絡まれる、意味のないいじり、からかいを受けるようになっていきました。
当人同士だけではなく、周りにも「そういう風に扱っていい人」とされるので、他人にむやみにいい顔をするのは、人付き合い苦手な人にとってハイリスクだと思います。
人付き合い苦手な人がケア役を回避するコツ
人付き合いが苦手な人が他人のケア役になることを回避するためには、以下のようなコツがあります。自分がいる環境に過剰適応しそうになったら、参考にしてみてください。
人に好かれようとしない
自分自身に合わない人間関係に身を投じることはストレスや不安を引き起こします。それを避けるには、人に好かれようとしない、取り入ろうとしないようにすることが大切です。他人の機嫌を取ろうとしなくなるだけでも、搾取されにくくなっていきます。
なるべく早い段階で他人を過剰に持ち上げる癖をやめたほうがいいです。素の自分を表現することが、居心地の悪い環境や人間関係でケア役になってしまう状態の回避につながります。
自分と他人の線引きをする
次は自分と他人の線引きをすることです。結局のところ、しっかりと「自分」を持っていないと他人に付け込まれ、利用されてしまいます。気付いたら「他人に合わせてばかり」な状態になってしまうでしょう。
そうならないためにも、自分が優先したいことを明らかにしておくことが大切です。自分のライフスタイル、価値観、物事へのアプローチ、他人との関係性について、明確なルールを設定しておきましょう。
どの程度まで他人と関わるのが自分にとって適切か、普段から考えておくといいです。
1つの場所に長く留まらない
人付き合いが苦手な人は、あまり長時間同じ場所に居続けないほうがいいです。人付き合いが苦手だと、押しが弱い人も多いと思います。それ自体は悪いことではないですが、押しが弱く親しい関係の人を作れないとなると、「あの人は味方いないから雑に扱ってよくない?」と周囲から嫌な役割を押し付けられやすくなります。
固定された人間関係は安心感につながることもあります。しかし、人付き合いが苦手な人にとっては、不安や息苦しさを感じる原因となりうるのです。
自分より他人のケアを優先してしまう、自分に原因がないのに他人の機嫌を取ってしまうなど、抑圧されて過ごすことにもつながります。
人付き合いが苦手な人は、集団がうまく機能するために犠牲にされることも少なくないです。だからこそ、長く同じ場に留まるよりは、違う環境で定期的に気持ちを切り替えることも必要だと思います。
人付き合い苦手な人は過剰適応しないように気を付けよう
人付き合いが苦手な人は、環境に過剰適応してしまうことがあります。過剰に自分自身を変える、他人に合わせるなどの行為は、短期的にはよくても長期的に行うとストレスや不安を引き起こしやすくなるでしょう。
人付き合いが苦手な人は、自分自身を蔑ろにすることなく、自分らしさを保ちながら過ごすよう意識することが重要です。
自分の価値観や個性を認め、そのまま出せる環境を選ぶことで、生きづらさの原因となるストレスや不安が軽減し、自分に合った距離感の関係を築くこともできるでしょう。
では、最後までお読みいただきありがとうございました。