こんにちは、人付き合い苦手です。
今回は人と離れられる環境にいたことで、穏やかに過ごせるようになったこと、人付き合い、特に仲間意識を苦手に感じるようになった経緯などについて、これまで考えたことを書いていこうと思います。
ではよろしくお願いします。
人付き合い苦手な私が人と距離を置いて気付いたこと
人付き合いが苦手な私ですが、数年前にようやく人とそこそこ距離を置ける環境になりました。そして気付いたことがあったため、そのことをまとめたいと思います。
他人の目を意識しすぎだった
1人でいられる環境になって、自分が人の目を意識しすぎだったことに気付きました。人前ではいつも過剰に緊張していて、ちょっとした仕草や物音を立てることにも「怒られるかも」とか「嫌味を言われそう」とビクビクする毎日でした。
それがなくなった途端、余計なところにリソースを使わなくなったため、落ち着いて物事に取り組むようになってきました。緊張するほうが集中できるという人もいるけれど、それは適度だからこそだと思います。
以前の私のように他人を気にして不安になってしまう場合は過度な緊張です。過度な緊張を強いられた経験は、後々メンタルにも響きました。努力と我慢の割に得る物は少なかったし、耐え続ける、頑張って乗り越えるよりも、自分が無理なく生きられる方法を模索すべきだったと思います。
逆にコミュニケーション力が身についてきた
人から離れて働いたことで、なぜか以前よりコミュニケーション力が身についてきたように感じます。やはり自分でなんとかしていくしかない状況になったことで、人任せにしていられない、ぼんやりできないと思ったからだと思います。
フリーで働く場合は、後で自分が損をしない、トラブルに巻き込まれないためにも、仕事の中身や報酬を確認したり、条件を提案したりすることも必要です。立場はこちらが弱いからと言って相手の提案を全部呑んでしまうと、あとで損することもたくさんありました。
受け身ではいられない世界に入ったことで、これまではただ面倒だったコミュニケーションに意味を見出したのだと思います。どちらかというと、危険から身を守るための確認、情報収集という感覚なので、コミュニケーション力というか、交渉に近いかもしれません。
また、仕事以外の生活で困ったことがある際、以前は相談、質問なども億劫で「どうにもならなくなった時だけにしよう」となかなか聞きに行けなかったけれど、1人で働くようになってからは、前よりも積極的にするようになりました。
ギリギリまで踏ん張っても状況は悪化する可能性が高いです。相談するのが億劫、恥ずかしいと言って先送りにしていたら、かえって大事になってしまうかもしれないですよね。手遅れになる前になるべく早い段階で相談する、断られても次を探すほうが早く解決します。
フリーランスを体験しなければ、私はずっと自分を必要以上に低く見積もっていただろうし、誰かにいいように使われる生き方しかできなかっただろうな、と思いました。
人と対面しないことのメリット
人付き合いが苦手な私にとって、人と対面する時間が減ることにはたくさんのメリットがありました。ここではそのうちの3つを簡単に紹介します。
安心感がある
対面しないことのメリットその1は、安心感があることでした。ここでいう安心感とは、同じ空間に自分を抑圧する相手がいない、精神的な安全が確保されていることによるものです。長く同じ場所にいると、大抵は力や権限が強い方が弱い方を搾取できる状況になってしまいがちです。パワハラやいじめも同じ場所で長時間過ごすことが一因とも言われていますよね。
ただリモートワークが普及しだしても、画面越しにプライベートを詮索する、無理な要求をするといったトラブルはあったようで、問題解決というわけではなさそううです。それでもハラスメントをしがちな相手が同じ空間にいるのといないのとでは、緊張やストレスの度合いがまるで違います。
体調が良くなった
人と対面しないメリットその2は、体調が良くなったことです。正確にはトイレや食事の時間が自由になったことで、お腹の調子が改善したともいえます。行きたいときにトイレに行ける、必ずしも仕事終わりでなく消化の良い時間にごはんを食べられる、人目がないので休憩中寝ることもできる、これだけで今まで抱えていた不調が楽になりました。
自分のことに集中できる
人と対面しないことで作業を妨害されることなく集中できます。話を振られたときに無難な返しを考えたり、電話応対で業務が中断されたりしないのは本当に気楽です。
人付き合いや所属することに強い苦手意識を感じるようになったきっかけ
私は昔から安心よりも不安を感じることが多く、常に何かに脅かされる感覚がありました。家庭内で肉体的に暴力を受けていたわけではないけれど、自分が小さい頃は祖父が母に対して過干渉、敵意がすごくて事あるごとに罵倒しにくるのが日常だったようなので、険悪な雰囲気を感じていたのかもしれません。
楽しいと思うこともないわけではないけれど、それを上回る不安でかき消されてしまう感じでした。記憶がある3歳前後からはしょっちゅう悪夢をみており、寝るのが怖いと言ったことを覚えています。それでも家族の中に(日和見気味ではあったけど)むやみに怒鳴らない、馬鹿にしない人もいたので、まだ救いがあったたほうだとは思います。
私の場合は家庭環境だけがきっかけで人間関係、特に所属することが苦痛になったわけではないです。これには生まれつきの性格、生まれた時期と周囲の価値観も大きく関わっていると思います。
なぜか世話好きで支配欲が強い人に遭遇しやすかった
私は幼少期から、世話好きな人とトラブルになることがありました。世話好きな性質自体が悪いわけでなく、単に私と相性が悪くトラブルに発展しやすかったんです。
相性悪いのに私の自己表現が下手なせいか、誤解されて気に入られてしまうことがありました。そして私が遭遇した世話好きな人には、支配欲、良く言えば庇護欲を全面に出してくる印象が強かったです。こちらが従順なうちはマシだけれど、そうでなくなると周りを使って攻撃してくることもありました。
従順なうちはマシと言いましたが、それでも私の性格的に無理、これは許せないといった行為をしてくることが多いんです。こちらの意志を無視したり、詮索したりする他、所有物のように連れ回したり、飽きたらいないかのように扱う。そのくせ私にはそれを許さず、相手を常に優先するよう求めてきました。
そういうのが嫌になって離れようとすると、今度は周りの取り巻きを使って責めてきます。「〇〇ちゃん可哀想!あいつ最低!」みたいな感じで。ポイントは「私(干渉が嫌いなのに世話好きに関わってしまった人間)以外は相手から嫌な思いをさせられていない」ことです。
相手は大多数に「世話好きないい人」と思われているので、人気があり味方もたくさんいます。自動的に、その性質が苦手で侵襲を拒否したがる私が「世話好きさんを利用したひどい奴」「平穏を乱した奴」になるわけです。
いまだに人気者とか、コミュニティの主流な人のような、ファンや取り巻きに囲まれてる人と関わると、異様なプレッシャーを感じて疲れます。中心にいる人の気分やリアクション次第で周囲が盛り上がって、こっちが濡れ衣着せられて害を被るリスクも高いですし。
味方が多い人に目をつけられやすい以上、集団の中では穏やかに過ごせないと思った
集団の中には必ず合わない人がいます。それは仕方がないことなので、距離をとってあまり深入りしないようにするしかないです。しかし、職場や学校、家庭などの閉ざされた環境で支配欲が強い人、その上多数に好かれていて味方が多い人に狙われた場合は、うまく距離を取ること自体が難しくなるんですよね。
本人は自分を加害者に見せないスキルに長けているので、周りを味方にできるし、個人よりも協調性を重視しがちな職場だと「和を乱したほうが悪い」とされる可能性が高いからです。対策は早い段階で相手を見極め、下手に借りを作らない、隙を見せないくらいでしょう。
アットホームなブラック企業とかもなんだかんだ生き残っているし、もしかしたら田舎的な閉鎖環境とか、家族的な関係性を嫌がる人は、そんなにいないのかもしれないですね。多分、これは私が過去の体験でそういうものに神経質になっているから恐ろしいことのように思うだけで、大半の人は支配して所有する、されることが当たり前で、抵抗がないのかもしれないと思いました。
そうだとしたら、やはり自分は集団に所属すると穏やかには過ごせないだろうと実感しました。
人付き合いが苦手なら人間関係は自分に無理のない範囲でいい
価値観が似ている数人と関わって楽しい、居心地が良いと感じたこともあり、所属を強制されない関係性は素敵だな、と思えるようになりました。ただ人に執着したり、振り回されないようには気を付けています。私はいつも気持ちが安定しているわけでもないので、本当にあっさりした関係でないと、対等な関係を維持できなくなりそうなときもありました。
やはり私の場合、人間関係は健全でいられる範囲で無理せず関わるくらいにして、1人でいる時間を大事にするほうが心の平穏を保てている気がします。
最後までお読みいただきありがとうございました。