人付き合い苦手な自分が「鏡の法則」について昔の体験から考えてみた

こんにちは、人付き合い苦手です。今回は「鏡の法則」という言葉について考えてみようと思います。

鏡の法則とは

「鏡の法則」とは現実で起こることは、心の中を映し出ている、つまり鏡であるという法則のことです。

自分に起こるいいこと、悪いことはすべて自分に原因がある、因果応報に近い考え方ともいえます。

鏡の法則は人間関係に適用されることもあります。自分に対する他人の態度は自分の態度を反映していると考えられるということです。

このように鏡の法則で考えると、人間関係のトラブルはすべて自分に原因があるということになってしまうでしょう。確かに適度に自省はしたほうがいいこともあるし、お互いに「自分が悪かったかも」と思える人達なら、人間関係は円滑になると思います。

しかしこれを適用することで弱い立場の人、支配されている人はかえって不利になります。例えばいじめも鏡の法則に当てはめると「やられたほうが悪い」になってしまいますよね。

人付き合いで苦痛を感じてきた身としては、正直鏡の法則はいまいち納得できないと思いました。

鏡の法則で考えると自分を客観視できる

私は人付き合いが苦手で、もう開き直ってきているので、鏡の法則をそれほど信用してはいません。あとで書きますが、鏡の法則を適用できないパターンが自分には多かったこともあります。

しかしいろんな人に知られているだけあって、鏡の法則にいい面もあるということは知っています。人間関係にうまく適用すると、自分を客観視することができるようになるからです。

人付き合いにおける面倒事を避けるという意味でも、自分を客観視できる力はあったほうがいいと思います。

私が過去に体験した嫌な出来事も、自分をもう少し冷静に見ていたら避けられたことも結構あるからです。

後で足元をすくわれないためにも、どんな状況であっても自分を客観視できるようになったほうがいいと思いました。

鏡の法則に納得した体験

基本的には鏡の法則に納得行かないけれど、過去に何度か鏡の法則という考え方に納得した体験もありました。ここでは特にそれを実感と思えた出来事、状況を2つ紹介します。

人間関係が出来上がっていないとき

私は学校のオリエンテーションや新人研修の場で鏡の法則があることを実感しました。

入学式やオリエンテーションなど、お互いのことをよく知らず、初対面同士が集まる場所、つまり人間関係が出来上がっていない状況です。

初対面で人となりまではわからないせいか、表面に出ているもので相手を判断する他ありません。だから良くも悪くも自分の言動がそのまま返ってくるところがあると思いました。

うっかり失礼なことを言ってしまえば敬遠されるし、礼儀正しく明るくしようと心がければ、向こうからも感じよく接してもらえることが多かったです。

私の場合はその場限りの人、集まりはあまり緊張しないこともあって、顔見知りに対するよりも自然体でいられます。(長くそのモードでいるのは疲れるし、関係を深めるのが苦手なため、長期間は無理ですが)

初対面や人間関係が出来上がっていないとき、他人からどんな反応が返ってくるかは確かに自分次第だと思いました。

対等な関係のとき

人間関係で鏡の法則はあるかもしれないと思ったのは、1対1でのやりとりができるとき、対等な関係性のときです。

例えば集団になってしまうと、その場にいる相手個人ではなく、属している集団やそこでの上下関係で扱ってしまうことが多いように感じます。

グループでいるときに感じが悪い人が1対1で話したときはそうでもない、いつもより話しやすかったといったことはありませんか?

対等に話せる状態であれば、特に仲良くならなくても、お互いに嫌いな状態でも(ケンカするつもりがない場合は)最低限の気は遣ってやりとりできるのではと思います。

どんなにこちらが誠実にしていても、1対大勢の場合、向こうが数の少ない方を見下してぞんざいに扱ってくることは少なくないです。

しかし、あるとき群れの中でニヤニヤしながら馬鹿にしてきた人が、単独のときはものすごい真面目で誠実に対応してくれるといったパターンもありました。

だから鏡の法則という考え方は、1対1の対等な状態でなら納得できると思ったんです。

鏡の法則は通用しないと思った体験

一方で「これに鏡の法則を当てはめるのおかしい気がする」と思った体験もいくつかありました。こちらもまとめてみたいと思います。

いじめ

私は自分の体験からいっても、いじめは鏡の法則に関係ないと思っています。

子供でも大人でも、いじめ加害者はだいたいコミュニティの中で「弱そう」「いじめても周りから非難されなさそう」な相手を選ぶことも多いです。もしくは相手に対する一方的な興味です。

いじめを鏡の法則でいうと「被害者が先に加害者に悪意を持っていて、嫌悪感を態度に出したから反撃された」みたいなことになってしまいます。

しかし、1対大勢な時点ですでに悪意のレベルが対等ではないと思います。

片方が「恐い、関わりたくない」と思っていたとして、それを鏡の法則で言うなら「こっちも関わりたくない」で済むと思うんです。

いじめの場合、なぜか「ビビっててムカつくから攻撃してやる」になるんですよね。

「苦手だから関わりたくない」と「腹立つからいじめてやる」のどちらが悪意かって言われたら、私は明らかにいじめる側のほうだと思います。

自分と合わなそうな相手、侵襲してきそうな相手に危機を感じて警戒することも、鏡の法則では加害と同等の悪意とみなされてしまうのだとしたら、心底納得いかないです。

派閥がある環境にいるとき

派閥がある環境にいるときは、一個人ではなく「どこに属しているか」「グループのどのポジションか」などで判断されやすいです。

この場合「何をしたか、言ったか」よりも「誰が(どのポジションか、どれくらいの権力持ちか)やったか、言ったか」が物事を判定する基準になってしまいます。

だから言動そのものを映す鏡の法則には当てはまらないと思いました。

上下関係がある環境にいるとき

上下関係がある場合も鏡の法則は当てはまらないと思います。例えば上司に対して、部下がどれだけ丁寧に愛想よく接したとしても、同じように返されることはほぼないでしょう。

また、上司にぞんざいに扱われたとき、同じことを即座にやり返せる部下はほとんどいないのではないでしょうか。

上下関係は名前の付いたわかりやすいものだけではありません。「その場で発言権が強い人」「仲間が大勢いる人」も、そうでない人からしたらある意味「上」の立場になりやすいと思います。

上下関係がある場合「配慮する」「心地よくする」などのプラスの対応は下から上、「雑に扱う」「八つ当たりする」といったマイナスの対応は上から下へと、一方通行になりがちです。

「プラスでもマイナスでもお互いにやったことが返ってくる」鏡の法則ではないですよね。

相手に強く執着しているとき

最後は誰かに執着しているときです。とくに一方的な好意からくる執着は独りよがりで終わることも多いのではないでしょうか。

「自分が相手を好きだから相手も自分好きになってくれる」が通用するなら、告白してフラれることもないですよね。

相手を手に入れたい、自分を好きになってほしいといった意味で強く執着している相手には、同じように好かれるどころか嫌がられる可能性が高いです。

だからこの場合も鏡の法則は当てはまらないと思います。

人付き合いを鏡の法則に当てはめすぎても苦しくなる

鏡の法則はすべての人間関係に当てはまるわけではないと思います。人付き合いを鏡の法則に当てはめすぎると苦しくなってしまうでしょう。

「人の振り見て我が振り直せ」に留まっているうちはいいけれど、何にでも当てはめてしまうと、「やられるほうも悪い」になってしまい、立場の弱い人は追い詰められてしまいます。

感情的、物理的に搾取を受けやすい立場だと、鏡の法則で行動することはリスクに繋がってしまうと思います。自分だけ一方的に相手を心地よくさせる、奉仕することが当たり前にになるからです。

自分を成長させることを考えたら確かに鏡の法則は有効ですが、派閥争い、上下関係といった権力勾配がある環境では、ただの都合のいい人にされてしまうリスクがあるので注意しましょう。

鏡の法則を活用して人付き合いのストレスを減らそう

鏡の法則をうまく活用することで、人付き合いのストレスを軽減することができます。ただし、自分の立場や状況次第なところもあります。

自分が不利な環境では鏡の法則が通用しにくいです。過剰に鏡の法則を取り入れると、他人からいいように扱われるリスクも高いため気を付けてください。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。

作成者: 人付き合い苦手

人との関わりにストレスを感じやすい人間です。人付き合いで自分が考えたことを書いています。

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